吹田市の歴史

東洋一の規模を誇った吹田操車場

東洋一の規模を誇った吹田操車場


 吹田の地名は「行基年譜」の天平13年記(741年)に「次田堀川(すきたのほりかわ)」とあるのが初見で、「醍醐雑事記」には貞観7年(865年)に淳和天皇の皇子・基貞親王の領田として成立した吹田庄が、後に清住寺に寄進されたことが記されています。吹田がにぎわいをみせるようになるのは延歴4年(785年)に三国川と呼ばれた神崎川と淀川を直結させる工事が行われて以後のことで、吹田は陸路・水路とも、西国と京都を結ぶ交通の要所となり、河港として発達し、荘園が設けられ、貴族の遊行の地ともなりました。

アサヒビール工場

アサヒビール工場

 明治9年(1876年)には大阪・京都間に官営鉄道が開通し、吹田と大阪は20分間の距離となり、続いて明治24年(1891年)、地下水が豊富で水運のよい吹田に現アサヒビールが工場を開設、大正12年(1923年)には国鉄吹田操車場が操業を開始し、“ビールと操車場のまち”と言われるようになりました。大正10年(1921年)には大阪市内と結ぶ北大阪電鉄(現在の阪急電鉄)も開通し、大阪市の商工業の発展に伴い、近郊住宅地として開けました。

アサヒビール工場

万博記念公園 日本庭園

明治41年(1908年)に町制を敷いた吹田は、昭和15年(1940年)には隣接する豊津村、岸部村、千里(ちさと)村と合併し、人口6万3,181人の吹田市が誕生。戦後、昭和28年(1953年)には新田村のうち下新田と、昭和30年(1955年)には山田村と合併して現在の市域となり、これらの合併が千里ニュータウンや日本万国博覧会(大阪万博)、大学用地として新しい時代の基礎となりました。

マークのついているページは吹田市からの委託事業です。

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